株式会社東和工業 創業50周年
今週弊社は株式会社東和工業として創業して50年を迎える事になります。私のブログは私にとっての備忘録的な役割もあるので私自身が忘れないためにもここにこの段階で何をかんじていたのか何を目指そうとしていたのかを書き残そうと思います。
以下は経営計画発表にあたっての社長としてのメッセージ
当社は創業から数えて50周年を無事迎えることができました。
国税庁が作成したもので「会社生存率」というものがあります。それは法人組織が設立されてから倒産するまでの期間をデータベースにまとめたものです。
それによると中小企業は設立から10年での生存率は6.3%。つまり倒産する確率は93.7%。 30年で生存率0.021%。 10000社のうち2社しか生き残れない計算です。
会社の倒産には主な理由があります。大きなものは「資金のショート」次に「世の中の変化についていけなかった」こと。変化についていけなかった企業は経営が衰退し継続不可能という事態に陥ります。
その点で当社は創業から50年を迎えていますが実のところ、事業としては一旦廃業した経験があります。それはオイルショック。自動車部品の下請けメーカーの仕事をやめました。
どうしようもありませんでした。今後を悲観した「経営者」と「その家族」を私はこの目で見ました。
それにも関わらず生き残った理由はただ一つ「変化した」から。変化することに前向きだったから。
21世紀を迎えて大きな流れの変化の中に我々は生きていきます。
最も強くて大きいものが生き残るのでなく
最も賢いものが生き残るわけではない
唯一生き残ることができるのは、変化できるもの。
チャールズ・ダーウイン<種の起源>より
これからも 強制的に変化しなければならないときが必ず来ます。何かのトラブルは 今までのやり方、考え方を変えるチャンスです。
世の中の変化を見極め、「業界の常識」、「既存のやり方」に縛られること無く、変化を恐れず確実に一歩を踏み出すことを続けて力量を発揮出来れば、成功する確率がグンっと上がります。
ただ単に続くことは日本的には美しいことなのかもしれないけれど決してそれが目標になることも望んでいない。そもそも起業の段階で当社はメガネ屋ではなかった。
父はどうしてもメガネ屋であることに固執はしていない。 その証拠に出資してくれたアメリカMBA留学は一切メガネのことに触れていない。
何屋であっても構わない それが上田家の家訓であると自負しています。 こだわりは良くても「固執」すると考え方が縮こまり 体制を維持することに終始してしまいます。
店舗数が35店あったとき なかなか閉店することができなかった。周りの眼を気にしていたから。 ディスカウントから足を洗うときなかなかやめられなかった。 父の眼をきにしていたから。 その固執は勝手な思い込み 自分の作り出した妄想。 それを続くけることによって余計不幸な人を増やすことになる。
人間として生まれた以上 幸せで楽しい人生をしたい。頑張ることはやめないけど 固執することはやめよう。そんなことを考えた50周年です。
投稿者プロフィール
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名古屋を中心に「メガネプラザ」「グラスヒュッテ」を展開する株式会社東和工業の代表です。
内面の色気を引き出す「最幸の色メガネ」で、かける人を「元気」にしたいと願いながら仕事をしています。
私が入れ込んでいる趣味の話 最近気になっている話などなどをつれづれなるままに書き記していきます。
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