なんでメガネ屋さんが パンツ売ってるの? だってもともとメガネ屋さんじゃないからね・・・ ②

今日も元気になりそうなお話をお届けします。

続きです。

今久しぶりに思い出しながら 書いていますが 今じゃとても信じられないような状況です。 でも不思議と何の違和感も 苦痛も感じず それが当たり前でした。

比較するものがないとか 情報がないというのは あるいみ 「とても楽なこと」であり比較することで 上下の差をしり優越感や劣等感を感じてしまうのでしょうね。

余談ではありますが 大学の卒業旅行でギリシャのサントリーニ島を訪れた際 何も知らないで情報を遮断してこの島で生活できたら良いなと思ったことを いまさらながら思い出しました。

私自身は 苦労して生活をしていた両親にしてみれば せめて子供だけには 苦労させたくない思いもあり 当時としては恵まれた状況であったとおもいます。

したがって 偏屈になることもなく のほほんと育つことになります。

東海理化さまでサラリーマンをしていた父ですが ある日会社に辞表を出します。理由は正確に聞いたことはありませんが やめたときのやり取りは面白いのでここに書きます

父が大学生で4年のときに声をかけてもらったその方は どうもその会社の社長になられたようで 退職の報告をするためアポをとりました。

父「永らく お世話になりましたが退職させていただき自営として一国一城の主を目指したいと思います。 ありがとうございました。」

社長「何だ 辞めるのか 残念だなずっと働いてくれると思っていたのに・・ ところでやめてどうするんだ 何の仕事をしようと思っているのだ?」

父「そこなのですが 私は大学を卒業したのち この会社に入社し覚えたことといえばこの会社のことしか知りません。 したがって自営するならこの会社から 仕事をいただくよりほかをしりません。 ぜひ仕事を回してください」

よくぬけぬけというなと 思いますが 言い回しは多少の差があっても ほぼこのようなことらしいです。

父は どうもこうした人であり この後 いくつかエピソードを公開する予定です

あきれた社長は かんかんになって父を怒りつけたようですが 結局この人たらしは下請けの仕事をもらい。工場を構えることになります。

お世話になった 東海理化工業から 「東」の一文字 和男から 「和」の一文字を付け合せて 東和工業 と名乗ることになります。

私はこの名前の由来が好きで その後何度か法人名を変えるかという議案が持ち上がっても 東和工業 で行きたいとずっと主張してきましたし 続けていきます。

結局 東海理化工業さまには プラスチックの成型の仕事と 車の鍵の作成をさせていただくことになります。

工場も順調にすすんでいたのですが 世の中は高度経済成長からオイルショックを経験することになり 自動車産業の仕事をしていたわが社もそのあおりをじょじょに受けることになります。

スーパーに行けば トイレットペーパーがなくなり ガソリンスタントにはガソリンが高騰しつつ備蓄がなくなります。

当時 大口町にあった工場からトヨタに納品するにも ガソリンが往復分買えず 立ち往生なんてことにもなりました。

つづく・・・・

投稿者プロフィール

上田唯司
上田唯司
 名古屋を中心に「メガネプラザ」「グラスヒュッテ」を展開する株式会社東和工業の代表です。 
内面の色気を引き出す「最幸の色メガネ」で、かける人を「元気」にしたいと願いながら仕事をしています。
 私が入れ込んでいる趣味の話 最近気になっている話などなどをつれづれなるままに書き記していきます。