なんでメガネ屋さんが パンツ売ってるの? だってもともとメガネ屋さんじゃないからね・・・ ④

今日も元気になりそうなお話をお届けします。

さて ドラッグ様の 社長を激怒させた 父は 驚きの行動を始めます。

社長 「こっちは 仕事をさせるなんて そんなつもりで紹介した覚えは一切ない 一人のお客様であろうと 親切にしただけだ いったいなんで 見ず知らずの 何の縁もない者に仕事をさせなければならないか 一切わからん! とにかく迷惑だ 帰ってくれ!  今すぐに」

後日成年になった私に大声で それでもうれしそうに 楽しそうに 部屋中に響き渡るようにまだひよっこの私に 話していただいた記憶が いまもよみがえります。

この業界を 震え上がらせた人です。 レンズメーカーであった ホヤ ニコン セイコーすべてのメーカーからも 恐れられた方であり そこに出入りしていた父や 会社はある意味一目置かれるくらいでした。

社長を激怒させ その返す言葉で父は「私は無職です。 帰ってもやる仕事がありません。 ですからこのまま引き下がるわけにいきません。 了解いただけるまで帰りません!!!」

そこで本社前で篭城をはじめます。 座り込んで動きません!。 今ならストーカー?でしょうかクレーマーでしょうか?

夏だとは言え 本人はどうなるかなんて考えていませんでした。 とにかく何とか了解もらうその一心です。

夜も暮れ コンビニもできる以前の話です。 8時過ぎて電気がついているのは飲み屋さんくらいです。    あのとき よく警察に通報されずにすんだなと思います。

何日そこにいたのかは知りませんが 社長が本社のカーテンの隅からこちらを伺う様子をみて 「まだやれる 脈あり!」と意気込んだ父は 悪いやつです 笑

そうこうして あるとき 中に入るように従業員の方に声をかけられます。 応接室で「なら やってみるか?」と声をかけられます。 しかし 社長としてはどうやら 覚えることがたくさんあるからどこかで すぐに音をあげるだろうとタカを くくっていらっしゃったようです。

研修が始まりました。 当時40を越えたばかりの父です。 覚えなければならない大量の眼鏡学の知識が頭に入りません。 こまりました。 同期はみな20代・・・

最初は安宿で泊まっていた父ですが ある提案を社長に持ちかけます。 「工場に泊まらせてくれないか?」

「何か盗むんじゃないか」と 心配されたようですが 社長の奥様に工場の床に布団を敷いていただき おかしな生活が始まります。

理由は2つ ひとつは宿泊費がもう払えなくなっていたこと。 もうひとつは 物覚えの遅れを取り返すことでした。

当時新入社員の仕事は朝 出社後掃除をする決まりでした。

同期であった 若い社員さんは 覚えるのも早く おいていかれる思いの父は必死の思いである案をひねり出します。

工場で寝泊りしたら 出勤の移動時間はない! 朝起きて工場をきれいに掃除して 同期の仲間に 掃除の時間を 教えてもらう時間にしてもらえば 何とか付いていけるだろう・・・と

こうした動きは すべて社長に筒抜けでした。 次第に評判になり 本気が伝わり  ある日社長室に呼び出されます。

おそるおそる 入室して 「どんな話があるのだろう クビかもしれない また仕事を探さなければならないのか こまったな まずいな・・・」妄想だらけです。

不安げな父を前に 社長は切り出します。

「すぐ名古屋にもどりなさい」  父絶句!!!!!

クビですか????

社長 「とにかく 名古屋にもどって 出店する場所を見つけてきなさい」 ところでお金はどれだけある?  正直に答え とにかく名古屋にもどりました。

いったいどうなるか不安な中 名古屋に戻り 必死になって候補地を探します。 賃料ほか条件を考えると なかなか候補地が決まりません。 数件まとまったときに社長に連絡。

名古屋にこられた社長と 候補地をめぐります。 ここだめ あれだめ・・・だめだしが続く中「ここならいいか・・・」と指差したのが 池下のビルの一室です。 今の基準では絶対に出店しないようなところでしたが なんせお金がありません。 決定した理由は大きな広い道に面しており 地下鉄の駅から見えることでした。

やっと同期に追いつけるかの知識レベルで 店などやれるはずもありません。 検査も中途半端 加工ができません。どうなるのか・・・

店名は 「メガネドラッグ 名古屋店」に決定。 当時関東からそとの 出店は一切ありません。 聞いた話では箱根の山より西にはいかないと 社長が決めていたからだそうです。

有り金の中から出店費用 フランチャイズロイヤリティー 商品在庫 検査器具一式 どんどんお金が飛んで行きます。 生きた心地がしなかったと聞いたことがあります。

もろもろの準備ができました。 オープンは自分の誕生日である 10月2日。 その後私が会社に戻り本社ビルの開店をいつにするかという話が出たおり 「お前は8月15日の生まれだから その日にしたらどうか?」ときかれ 素直に決定しました。 だから 忘れることはありません。

オープンの日 社長が東京からわざわざこられ 二人っきりになったところで 封筒を渡されました。 なかにはお金が入ってました。 その金額、 名古屋に出店を決定したときにロイヤリティーとしてお支払いした金額にほぼ近い額。

「これから 物入りだろうから それはとっておきなさい」 今これを書いている私はいつもこれを思い出すと 泣き出しそうになります。なんというお方なんだろうか?

では今日も元気に行きましょう!

投稿者プロフィール

上田唯司
上田唯司
 名古屋を中心に「メガネプラザ」「グラスヒュッテ」を展開する株式会社東和工業の代表です。 
内面の色気を引き出す「最幸の色メガネ」で、かける人を「元気」にしたいと願いながら仕事をしています。
 私が入れ込んでいる趣味の話 最近気になっている話などなどをつれづれなるままに書き記していきます。