なんでメガネ屋さんが パンツ売ってるの? だってもともとメガネ屋さんじゃないからね・・・ ⑤

今日も元気になりそうなお話をお届けします。

まだつづきます。

今回生い立ちを書き出したのは これまでの父の功績を記録しておきたい。 私の息子である孫にも 今あるのは父のおかげでそれは 順風満帆のなかで進んできたわけではない 「感謝」の気持ちを忘れてはならない それを何かの形で記録する気になったから。

さて オープンしたのはいいが お客様はまったく来店ありません。 そりゃ誰もしりませんからね。 売れない日が 何日が過ぎていきます。 未熟ゆえ 検査の手伝いは東京から応援をもらってます。その費用もかかります。 加工は郵便で送るか まとまったところで新幹線で直接東京の工場に持ち込む・・・ 普通じゃ考えられないような開店休業状態。

仕方なしに両親は チラシをつくります。片面刷り 一色 B5の半分ぐらいの大きさ。 なけなしの中からやっと作ったチラシであることぐらいぼんくらの私でもわかります。

仕事に行く前 私たち兄妹がまだ寝ているころ 早起きして近所の車のワイパーに一枚ずつ 願いをこめて挟んでいたと聞いたことがあります。 「ぜひ ご来店くださいませ!」

登校時に挟んであるチラシをみて 友人は からかいます。「なんだ お前のうちこんなものくばって!」 それがもとでなぐりあいの喧嘩になったこともあります。

下校時は そのチラシがくしゃくしゃになって道路に捨てられています。 それを一枚一枚拾い上げて手で伸ばし 捨てるわけにも行かず集めて束にして 机の引き出しの奥にしまいこんでいました。

苦労して配っていたこのチラシ ごみになって捨てられていたなんて 両親に知られたくない・・・ 悔しい なんでごみにして捨てるんだ!! 今に見てろ!! 悲しさでたまらなかった。

そんなある日 一人の来客がありました。 メガネのお買い上げのお客様ではなく 名刺を差し出されました。 見ると新聞記者・・・ 「何の御用でしょうか?」と父。

恐る恐る聞く父に その記者は 「名古屋初の メガネ5割引 面白そうなので記事にしていいか? 取材させてもらえないか?」と

暇だったし 取材も面白そうなので 受けることにしました。 それまでの経緯も含めて興味を持ってもらったようです。

異業種出身がはじめた 5割引のメガネ店! 東京でも大評判 いよいよ名古屋上陸!!

そうしましたところ 話題が話題をよんで 一気に火がつきました。

朝 店のシャッターを開けると店の入り口から駅までの200mを人が並んで待っている。 シャッター開けると同時に人が流れ込んで15坪しかない店はお客様だらけ。

一人が数本のメガネフレームをわしづかみにするから 商品が足らなくなり 仕方なくわしづかみにしているお客様の指を一本一本広げ 商品を取り上げ(すみません)ほかのお客様にみせて・・・を繰り返す日々が始まりだします。

レジを打っている時間がなく 売れたお金は 段ボール箱になげこまれます。 箱のままもちこまれた現金を自宅に持ち込んで 家族全員で集計していました。小学校6年のころです。

とにかく 売れまくった! 商圏は東海3県 長野から静岡から三重からとにかく その後取材が続き すごい勢い。

冬になり 外で待っていらっしゃるお客様に暖をとってもらおうと ドラム缶で火を炊いたら消防車が来りして とにかく騒動のもととなり 大騒ぎされました。

当然 敵も作りまくりました。 すべて敵に回しました。

近隣のメガネ店の嫌がらせからはじまり 当時少しづつはじめた 地元問屋との取引が 先方の通告で一切停止に。

では今日も元気に行きましょう!

 

投稿者プロフィール

上田唯司
上田唯司
 名古屋を中心に「メガネプラザ」「グラスヒュッテ」を展開する株式会社東和工業の代表です。 
内面の色気を引き出す「最幸の色メガネ」で、かける人を「元気」にしたいと願いながら仕事をしています。
 私が入れ込んでいる趣味の話 最近気になっている話などなどをつれづれなるままに書き記していきます。